携帯の便利さ

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スマートフォンって便利ですよね。電波さえ繋がればどこでも連絡が取れるんで。
それだけではなく、いろいろなものを調べたりメモしたりできるし、ゲームだってできる。
また、違った使い方ですが電車内などで視界に入れて精神的に有害なもの(主に女性の生足やお尻)などを見ていないよ、と証明する手段にもなったりします。今日それやっててバスで酔いました。
スマートフォン一台で私生活で必要なことはほとんどできてしまう。それが使い勝手がいいかどうかは置いといて。

それでです。便利なのはいいんですがその所為で逆に人と口でコミュニケーション取ることが減ってるような気がするんですよ。
先日、私の知人と話をしているときにこんな話を聞きました。
とあるカップルがカフェに入ってきました。席についてなにか店員さんに注文してのですが、それを終えると同時に彼らはポケットからスマートフォンを出し、数分間無言ポチポチいじり、合計時間10秒も会話することなく出て行ったとか。


それで楽しいのかなぁ、とかカップルとして成立してるのかなぁ、とか思うところは多々ありますが、この際はいいでしょう。

なぜ2人してスマートフォンを取り出したのか。
理由はいくつか考えられますが、最たるものは暇つぶしでしょうね。

いつ自分がスマートフォンを取り出すか考えてみましょう。人としゃべっているときや、仕事やゲームに没頭しているときに手に取るでしょうか?
よほど器用な人でない限りそんなことはしないしできないと思います。

ではいつか。通学、通勤電車や、なにかの待ち時間などの歩かなくていい暇な時間だと思います。
もちろん、電話やメールなどの携帯電話としての機能を使うときを除いて、の話です。
で、そのときスマートフォンを取り出した理由を突き詰めると暇つぶしになると思います。

暇をつぶせるものはいいですね。小説であったり雑誌であったり携帯ゲーム機であったり。

ですが、人と外で行動を共にしてるときに、一緒にゲームすることはあっても小説や雑誌を読むことはほとんどありませんよね?
また、人と一緒でなくても公共の場で紙に書かれている文字や絵を読んだりすることに抵抗がある人もいるかもしれません。
それはなんていうか、「本を読める雰囲気ではない」とか「相手が気分を悪くするんじゃないか」という礼儀のようなものの所為で読みにくいんだと思います。

しかしスマートフォンは違います。携帯電話としての役割を持っているからこそ、いつメールや電話のために取り出しても失礼ではないのです。
小説や雑誌は読むためのものです。機能は「読まれること」しかありません。よって、人前で取り出す、と言う行動は「今から本を読みますよ」というアピールになってしまうわけです。
スマートフォンはどうでしょう。機能は無数です。相手はなにをするかわかりません。重要なメールかもしれません。今後の予定確認かもしれません。なにをしてるか気になりますが、それは間柄によっては相手を疑っているという意思表示になりかねないので聞けません。

よって、スマートフォンとはすごく便利なものです。
お互いに傷つかずに暇をつぶせるのですから。

さてここで本題に戻ります。
さっきの例のようにスマートフォンの所為で口でコミュニケーションを取る回数が減っているんですよ。

人といる間の暇というのはおしゃべりで潰し、そのおしゃべりによって相手を知るのではないかと私は考えています。

スマートフォンという便利な機械は、このおしゃべりをつぶす機会を作っているのではないか。
人と人が一緒にいて、しゃべらない時間というのは気まずさがあるはずです。しゃべらなくても通じる間柄なら話は別ですが、そんな人はそもそもその場でスマートフォンなんて取り出さないでしょう。
その時間をスマートフォンで代用することによって、人との会話を必要としなくなっているのです。

要するに逃げなんですね。相手から目をそらして自分だけの世界に入れる。
逃げ道があるから逃げてしまう。大きな問題になることでもないので逃げを選択しやすいんでしょう。

コミュニケーションを取るためのものの所為で、結局コミュニケーションを取らなくなるなんて皮肉なものですね。