人の振り見てなんとやら

最近思ったんですよ。
腹立つことなんていくらでもあるわけだし、いちいちそんなことにあったまってキレてたらキリがないなと。

例えば陰口とか本人の耳や目に入っちゃいけない情報。
自分に入ってきたらその人たちはその程度の人間なんだな見限ること。
んで、そんなことをする人にはならないでおこう、もしくはそう思われないように器用に生きようって。

一度言ってもわからない人に二度も三度も同じこと言うつもりもないし、俺もそこまでおせっかいというかお人好しする意味も意義もない。
切れない縁ならならさりげなく距離を離す、切れる縁ならさっさと切る。こういうことも重要なのかなと。

その昔、切れない縁を相手側から一方的に切ってきたことがあった。
もしそのとき私がもう少し大人だったなら、というよりもう少しわかっていれば今のようにギクシャクした関係にはならなかったのかなぁなんて考えたことがある。

そんなことがあって一度だれかに相談したところ、「それは明確な拒絶だから相手に合わせるのが一番だ」とのこと。
相手がどの程度の距離を望んでいるかは雰囲気で察して、相応の付き合い方をするのが失敗しない秘訣らしい。
アニメや漫画なんかによくある感動の仲直りなんて現実には存在しない。存在してもそれはよっぽど青春してるやつか頭お花畑な連中か。
そう言われればなぜか納得できた。私が読むような空想ではほとんどがなんらかの青春をしているか頭おかしい連中ばかりだった。

つまりはだ。
相手はその程度の人間であるなら私も”その程度”の対応でいいんじゃないかなって。
見下したり馬鹿にしてるつもりはない。もし心当たりがあって不愉快に思ったなら謝る。
ただ自分の今までの発言見返して私に失礼なことや倫理に反することはなかったか?
己は間違いを犯していないと胸張って言えるのか?

私は聖人君子でもなければ全知全能の神様でもない。ただの人である限り喜怒哀楽は付きまとってくるし、やはり怒りもすれば悲しみもする。
それなりに信用してる人から嫌味を言われれば傷つくし嫌なことがあると悲しくもなる。

自己防衛でしかないが、やはりこの手の人たちは見限るのが一番かもしれない。
もちろん、私だって相手に失礼なことをしているかもしれない。その報復として行っているだけかもしれない。
距離を離して上手に生きる。解決しなくても大きな障害に成りえない問題はうまく避ける。
こういうことも時には重要になってくるのかもしれない。生きるって難しいね。

それでも怒りの炎は収まらない。これを爆発させるか鎮火させるかは自分次第。