日常というのは繊細なバランスで。
今日は家の改装をちょっとだけ、ほんのちょっとだけしました。
特に私に関する部分で変化したわけではないんですが、ちょっと思ったことがあったので記事にして書いておきます。
前々回のコメ返
>衿宮さん
いや、地下鉄でそのまま野田阪神(最寄り駅)まで行くのと今日橋まで行くのと切符代一緒なんですよwww
日本橋→野田→JRで京橋より結果的に安くなるので、地下鉄でそのまま行きました。
地下鉄は6年間乗っていたので乗りなれてますしね。
前回のコメ返
>衿宮さん
カスタマイズ?なんですかそれ()
あれは私が克服できない唯一のトラウマですよ……
>哀歌さん
カスタマイズとか絶対にやりません。アレはガチでトラウマです。
ロザリオは…私みたいなにわかが手に入れてしまって申し訳ない感じです。でもだれにも渡しませんよ!
ロザリオ欲しかったらSBで私に勝ってうわちょやめなにを(ry
んで本題。
改装したのは親父の部屋、居間、階段部分(玄関)です。
親父の部屋も居間も特に私にとっては関係ないもの。
でも階段部分の変化がすこし大きいです。
いままで18年と5ヶ月この家に住んでます。
2週間以上家に帰ってこなかったことなんかありませんし、これからもしばらくは(一人暮らしとか始めると変わるでしょうが)そうでしょう。
つまり、家のいろいろなものの配置が体に染み付いてしまってるわけですね。
照明のスイッチ一つにしても見なくても押せますし、どこをどう弄くったらどうなるかも把握してます。
そんな感じでしょうけど、みさなんはこんなこと考えたことあるでしょうか?
もし階段の高さが変わったら。
はい、今回の変化とは階段の高さがちょっと変わりました。
厳密には階段の一段目の高さ、ですけどね。
今までは台があったので低い感じだったんですが。
今はその台がなくなってすごく高く感じてしまいます。
昼頃一度躓いて倒れそうになりましたからね。
タイトルで大層なこと書いてますが、要するにこういうことです。
日常ってのは簡単に崩れるんですね。
日常はいつまでも続くものじゃない。だから大切にしないといけないんですね。
そんなわけです。
人生ってのはやっぱり難しいですね。
いつになったら親父みたいな超人になれるのか。
これが年の差ってやつですかね……
いや、年を取れば取るほど行動や思考をパターン化してしまう故、痴呆やボケ、いわゆる認知症になりやすいとかなんとか。
それなら若いままでも…いやそれも嫌だな…