心は1本の芯のようなもの

私は数ヵ月前、軽い鬱病になりました。軽いとついてるのは重症化する前に自分(と経験者の友達の助言)で気づいたことと、医師に相談したところ「症状が出てるけど薬は出せない」と言われたことからです。別の精神科行ってたら鬱診断されてたかもしれないけど、私自身比較的マシな症状しか出ていなかったので軽い鬱としてます。
で、出勤中に吐き気と冷や汗が止まらずものすごく気分が悪い。仕事の話をされると気分が沈む。その後いろいろ出てきたけど割愛。
出社不可能という訳ではないけど確実に精神擦り減るのはわかってたので出社拒否って無理やり退職という流れ。

その中でいろいろ考えて調べて実感したことは心は1本の芯のようなものだということ。
それは年齢を重ねるにつれてちょっとずつ丈夫になっていき、若い間はまだ柔軟だから影響を受けやすい。だから若い間は歪むことがいっぱいあるのだけど、若さという柔軟さでそれを矯正しやすい。最終的に大半の人間が「一般社会」という「型」に入れるようになっていく。それはある程度いびつな形も受け入れることができ、多様性に富んでいるが一方で逸脱しすぎた要素を持つ者は入れない。さまざまな形の円柱状の鉄とそれを入れることができる筒状のものを想像してもらえるとわかりやすいと思う。
そうして型に入ってからはほとんど変化することがなくなっていき、だんだん硬化していく。ちょっとやそっとでは影響を受けず、傷もつきにくくちょっとした衝撃でも揺れる程度で済む。
だけど硬くなってしまったが故に、折れたり歪んだりすればほとんど治らない。いくら丈夫でも長期的な負荷や、硬度を上回った衝撃には耐えれない。

鬱病って言うのはそういうこと。長期的な負荷により少しずつ歪んでいき、最終的にはポッキリと折れ曲がる。そうなるともう二度と戻らない。
私の場合は折れ曲がり始めた段階で気付けたから大した症状も出ないままでまだ生きていれる。実際に職場で倒れるまでいった友達は今でも仕事中に症状出るし、生活に支障が出まくってるのを見てるとたぶんあのまま働いてたらもっとひどくなってたと思う。
軽い鬱と言っても3か月間ほとんど転職活動できなかったし、ただただ現実逃避するしかできなかった。最近でこそ面接ぐらい行くかとかバイトしないといけないと思えてきたけど、それまでそんな気全く起きなかった。


あと我々の親世代の人が鬱になった側をよく責めるんだけどそれっておかしいよね。いじめはいじめられるほうが悪いって言ってるようなもんだしそんなことしても一向に良くならないからね。
お互いのためにやめたほうがいいんだけど実際なってみないとわからないものだから仕方ないとは思う。そうは言っても許されることじゃないけどね。実際私の父もものすごく責めてきたし、今でも言ってくる。無視できるレベルに回復したからいいけど、これを退職直後にされてたらどうなってたか。

そういうわけで心に受けた傷って言うのは治りません。治ったと思っても同じような状況になればぶり返します。一生残るんです。